google.com, pub-1751028613932834, DIRECT, f08c47fec0942fa0 —— 実録映画『仁義なき戦い』名言・名セリフ 「広島極道はイモかもしれんが旅の風下にたったこたぁいっぺんもないんでぇ。」: 仁義なき戦い 広島死闘篇
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広島死闘編『山中はヒットマンの仕事を成功させた事をきっかけに広島への帰参』

 復員兵の山中正二(やまなかしょうじ)は、大友連合会の大友勝利(おおともかつとし)らにリンチを受けたところを上原靖子(うえはらやすこ)に助けられる。靖子は村岡組の親分である村岡常夫(むらおかつねお)の姪であり、そのまま山中は村岡組でヤクザとなる。

ある日山中は偶然靖子と男女の関係となり、勘付いた村岡が激怒していると若頭の松永弘(まつながひろし)や舎弟の高梨国松(たかなしくにまつ)らに知らされる。そして彼らの手引きで、九州へ逃亡する。その後、山中はヒットマンの仕事を成功させた事をきっかけに広島への帰参を許され、正式に村岡組の若衆となる。その頃村岡組は大友連合会と競輪場の利権を巡って抗争をしており、村岡組は事務所を襲撃され多数の死傷者を出していた。
一方呉では広能が一家を構えており、広島から逃亡した時森勘一(ときもりかんいち)を追って山中が広能を尋ねていた。広能と山中は刑務所で知り合った仲であり、広能は不要な争いを避けるため時森の居場所を後で知らせると山中を説得するのだった。だが広能は、時森が自分を騙そうとしている事を知り自身の子分である島田幸一(しまだこういち)に命じて時森を殺害する。その後、村岡は大友連合会の解散を条件に抗争を終結させた。
だが勝利が密かに抗争に向けて用意をしているのを察知した村岡は、山中に命じて大友連合の組員達を殺害させるが山中は無期懲役の判決を受けてしまう。さらに、山中は刑務所で高梨から靖子の縁談を知らされ脱獄してしまう。そして山中は、勝利を殺害しようとするが警察に見つかり空き家に逃げ込んで自殺してしまう。

『仁義なき戦い 広島死闘篇』(1973)

 

『仁義なき戦い 広島死闘篇』(1973)

映画史上屈指の暴れぶり。千葉真一演じるやくざは「暴力の化身」だ!――春日太一の木曜邦画劇場 『仁義なき戦い 広島死闘篇』

 九月十三日に『文藝別冊 深作欣二』が河出書房新社から発売になる。ここで筆者は深作監督の仕事関係者、計二十七名にインタビューをした。

 その校了日直前に千葉真一のまさかの訃報が届いた。もちろん二十七名の筆頭にそのお名前はあり、五月末にロングインタビューをさせていただいた。その時は、変わらぬエネルギッシュなご様子で、初主演作が監督デビュー作――という縁からの深作監督作品の思い出をたっぷりお話しくださっている。それだけに、あまりに急なことに現実として捉えられずにいた。

 生前、本当にお世話になった。取材、テレビ番組、イベント、さまざまな機会でご一緒させていただき、どれほどの御厚情を賜ったか――。子供の頃からのヒーローにうかがえた素晴らしい芸談の数々は我が人生の至宝だ。それだけに亡くなってしばらくは胸をかきむしられるばかりで、追悼コメントなども出せずにいた。

 ただ、あれだけパワフルな演技を見せてくれた方。しんみりと振り返るのも違うのではないか。そこで今回は深作とのコンビで生み出された、最高に賑やかな作品を取り上げたい。それは『仁義なき戦い 広島死闘篇』。人気シリーズの二作目だ。

 舞台はまだ戦災の爪痕が残る、復興期の広島。千葉が演じるのは、現地最大の組織に牙を剥く武闘派やくざ・大友勝利(かつとし)だ。とにかく、この大友の暴れぶりが凄まじい。

 初登場シーンからして、実質的な主人公の山中(北大路欣也)を鋭角に先を切った竹ざおで突くわ叩くわの大リンチ。さらには敵対組織のチンピラ(川谷拓三)を拉致して海に投げ込んで舟でひきずり、ヘロヘロになったところを木に吊るして射撃練習。「あれらはオメコの汁で飯食うとるんど!」というとんでもないセリフも平気で吐く。マスコミ相手の記者会見では堂々と股間をかく。しかも、表情はいつもニコニコ。心から嬉々として暴れているのが伝わり、その様はまさに「暴力の化身」。

 しかも千葉の動きも深作のカメラワークもとんでもない激しさで繰り広げられる。そのため、目まぐるしい勢いで展開される大友の暴力の渦に観ていてひたすら巻き込まれていくしかない。その千葉の大暴れぶりたるや、世界の映画史上でも屈指といえる。

 生前、新刊が出る度に献本させていただいたのだが、その際に時おり携帯電話に着信があり、ご感想をくださった。たとえ早朝でも、八十歳近い御年齢でも、そのお声の圧は大友そのものだった。次の新刊発売でも、引き続きあのド迫力のお声をお聞かせいただけるのではないか――。今でもまだ、そんな気持ちでいる。

任侠・極道映画おすすめ人気ランキング【2021年最新版】

 仁義を重んじ、弱きを助け強きを挫く者、それが「任侠」。

時代によって様々な形の「任侠」が存在しますが、そんなアウトサイダーたちを時にカッコよく、時に無法者として描く任侠映画は観ていて熱くなる映画ジャンルの1つです!

そこで、今回は「任侠映画人気おすすめランキング」として、30代~60代の男性に絞って調査を実施。昭和を代表するあの大スターの主演作から、粗暴者を演じさせたら天下一品のあの人の代表作まで、様々な任侠映画が目白押しの注目ランキングです。

1位に輝いたのは…!

※記事中の人物・製品・サービスに関する情報等は、記事掲載当時のものです。

【任侠・極道映画人気おすすめランキング【最新版】】

第1位 仁義なき戦い(1973年)
第2位 極道の妻たち(1986年)
第3位 アウトレイジ(2010年)


観る人を強く惹きつけた血なまぐさい抗争と人間ドラマ!1位は仁義なき戦い(1973年)!

<投票者のコメント>
「初めて見た時の衝撃がすごかった」

「任侠映画の代名詞」

「深作欣二監督の真骨頂。当時としては斬新な演出でした」

見事1位に輝いたのは菅原文太さん主演映画「仁義なき戦い」。
舞台は終戦から間もない広島・呉、実際に起きた「広島抗争」を元に、とある経緯からヤクザ者となった広能昌三の戦いが描かれる物語。従来の勧善懲悪を軸とするヒーロー的な任侠像から脱した「現代ヤクザ映画」の傑作です。
シリーズ通しての主役となった菅原文太さんのワイルドな演技はもちろん見どころですが、ずる賢い山守組長を演じた金子信雄さん、小物感が溢れ出る槙原を演じた田中邦衛さんも最高です!「広島死闘篇」、「代理戦争」に登場する村岡組若衆頭の松永弘(成田三樹夫さん)は、荒々しい登場人物が多い中で冷静沈着な人物として描かれたこともあり、特にファンが多いそうです。





『仁義なき戦い 広島死闘篇』 広田雅将】時計は名画の試金石ではあるまいか? ── みんなで語ろう!「わが日本映画」

海外映画に同じく、時計を富と成功の象徴とした日本映画もある。いくつかのピカレスク映画は明らかにそうで、もっとも効果的だったのはヤクザ映画の『仁義なき戦い 広島死闘篇』(1973年)だろう。舞台となったのは、戦後すぐの呉。大友組の組員たちにリンチを受けた北大路欣也演じる山中正治は、敵対する村岡組の組長に救ってもらい、以降彼に忠誠を誓うようになる。しかし、純真な山中はやがて村岡に利用されるようになり、最後は裏切られて拳銃で自殺してしまう。 この映画の大きな鍵が、スイス製の何十万もする金無垢の腕時計である。リンチを受けた際、山中は腕時計を壊されてしまう。そこで彼を助けた村岡組長は、腕に巻いたスイス製の金時計を外し、男になれよという言葉とともに山中に贈る。女と金時計で村岡に籠絡された山中は、その後、村岡組の「鉄砲玉」として、敵対する相手を殺戮するようになる。この映画の中で、時計は勤勉な小市民のシンボルではなく、成功の証であり、人を狂わせる存在として現れる。時計がこういう描かれ方をしたのは、筆者が観た日本映画の限りでは初であり、他国と比べてもかなり早かったのではないか。つまり『仁義なき戦い』とは、それぐらいに「らしからぬ」日本映画だったのではないか。 正直、主人公がどういう時計を着けようが着けまいが、映画の出来とは関係ない。しかし、時計という小道具は、効果的に使えば、驚くほどの深みを与えることができるのも事実なのである。時計を通じて、主人公と社会の絆を暗示する『男はつらいよ』、そして欧米映画のように、時計を成功と富の象徴として描いた『仁義なき戦い 広島死闘篇』。ひとりの時計好きとして、今後、この2作を超える、ユニークな時計の見せ方を伴った、新しい日本映画を期待したい。

仁義なき戦い「広島死闘編」孤高の伝説キャラ “大友勝利”!  大友勝利(千葉真一)のセリフ



仁義なき戦い 広島死闘篇で
ヤクザ映画史上伝説として語り継がれる
この稀代のイカレキャラが登場する

「村岡が持っちょるこつは何を売っちょるの?
淫売じゃないの,言うならアレら~
オ○コの汁で飯食うとるんど!!」

放送禁止用語をブチ回すヤバイ男・・
大友勝利(千葉真一)である


出演時の思い出を語るを語られています。

実は最初、北大路欣也ちゃんが演じた山中正治が僕の役だったんです。
脚本の笠原和夫さんは、その前に『日本暗殺秘録』(1969年)で
僕が演じた小沼正のヤクザ版として山中を描いた。
だから僕も山中のセリフは完全に入っていた。



それを欣也ちゃんが「大友はできない」と言ったから
クランクイン直前で役が入れ替わった。実は彼とは役柄交代は2回目。
そりゃあ、向こうは市川右太衛門さんの御曹司で、こっちは雑草。
それでも2回目となると「勝手にしやがれ!」と思ったけど
ふと考えたらあの深作欣二が違うと思ったら絶対に曲げるわけがない。

ははぁん、これは監督の陰謀か……そうか、それならやってやろう。
そう思って改めてシナリオを読んでみたら「何じゃこれ!」なわけです。
山中とは180度違う役柄で、欣也ちゃんが役者として降りたのもわかる

エゲツないセリフばかりだけど、読んでいくと段々と
「これ、おもしろいな」と役柄が自分の中に入っていく。
深作監督も、山中よりも大友に気持ちが入っていることもわかった



ただ千葉真一として、どうやって演じたらいいのか? 
1週間、考えに考え抜いて「これだ!」とひらめき、またアタマから
シナリオを読み直して、その段階で90%はできあがっていたかもしれません。
一言で言えば「千葉真一」を捨てること。
何なら芸名ごと「大友勝利」に変えてもいいと思ったくらい。

あの頃の僕は、テレビドラマの『キイハンター』などで
アイドル俳優と呼ばれていたけど、それを全部、捨てようと。
大友になるために、特徴的な目をサングラスで隠し、
ファンキーハットに赤いリボンを巻いて。
登場シーンでは唇を引っくり返して割り箸をくわえているんです

あとは何か……そうだ、木刀を持たせよう、と
深作監督と話しながら、暴力的なキャラクターを作り上げていきました。

〈あんた等も飯食えんような体になってもらいますけん!〉

そんなセリフが、そこいらを木刀で叩き壊すことによって一段と映えてくる
監督に「僕の広島弁は大丈夫か?」と聞くと、水戸訛りの監督は
「アクセントなんかどうだっていいんだ、雰囲気さえ出ていれば」
と答えましたね。役者人生でこんなに悩んだ役もなかったけど、
それだけ「大友勝利」には愛着も深いですね。








仁義なき戦い 広島死闘篇 抗争は呉から広島市へ村岡組若衆の山中正治を主軸に据えたスピンオフ的位置づけの第2作【1973年4月28日公開】




広島、終戦直後から駅前の縄張りをめぐって対立していた博徒の村岡組と
テキ屋の大友連合会は、一時休戦状態を続けていたが、昭和27年、
村岡組が広島競輪場の支配を独占したことに端を発し、再び抗争へと突入していった。
工員だった山中正治は博奕がもとで、やくざを傷つけて傷害罪で逮捕された。
若い山中は刑務所でも荒れ狂い、その度に呉の山守組々員・広能昌三になだめられた。


三年後。仮出所した山中が広島駅前の大衆食堂で無銭飲食し、店の主人・靖子と
やり合っていた所、グレン隊を引き連れた大友勝利たちに袋だたきにあってしまう。
この勝利は、大友連合会・大友長次の実子で、村岡組の縄張荒しをしていたのである。
深傷を負った山中を靖子は自分のアパートへ連れて行き、治療した。
靖子は村岡組々長の姪で子持ちの未亡人だった。山中の噂を聞いた村岡は
一度は靖子と肉体関係を結んだことを怒ったが、正式に村岡組若衆として盃を交わした。
一方、勝利は、テキ屋で甘んじている父に見切りをつけ、村岡の兄弟分の時森勘市を
抱き込み博徒大友組を結成した。


そして、勝利自ら先頭に立ち、村岡組の事務所を襲撃した。
村岡は、松永弘や山中の働きで一命をとりとめたが、直接報復に出る事をさけ
山中一人に行動を命じた。時森を追って呉にやって来た山中は広能組を
結成した広能と再会。
広能は呉で時森を殺さすわけにはいかず、広島で山中に引き渡すと約束した。
だが時森は山守組に泣きついてしまった。山中への約束を果たせなくなった広能は
自ら時森を射殺した。一方時森を失った勝利は関西に逃れていった
靖子との仲を村岡に認められ有頂天になった山中は、命じられるままに大友組の残党を殺していった。しかしこれは村岡のしくんだ罠で、山中は翌日、殺人罪で逮捕された。
山中がこの事実に感づいたのは、数ヵ月後、刑務所の中で、仲間から靖子が近々結婚する
と聞かされた時だった。裏切られたと知った山中は刑務所を脱走村岡の家へ駈けつけた。
しかし家には靖子がおり、結婚話など微塵も出なかったので、山中は村岡への懐疑心
を深く詫びるのだった。その頃、勝利が広島に舞い戻り、報復を開始していた。
そして、ついに勝利は村岡の子分を殺害した。怒った村岡は、大友組壊滅を命じた。
広島市内の随所で銃撃戦が展開される。村岡への義理をたてる山中は殺人鬼と化していき
村岡はそんな山中をフルに利用した。数日後、ついに山中は勝利を見つけ、拳銃を発射
傷を負った勝利は動きがとれず警察に逮捕された。
警察に追われる山中が呉の広能を訪れた
彼を隠まおうとする広能を振り切って、山中はふたたび広島へ戻った。


しかし、松永から靖子の一件の事実を聞かされ呆然となる。警察に包囲され
もはや誰もが信じられなくなった山中は自らの拳銃で自決した
山中の葬儀が盛大に行われた。
参列した山守たち親分衆は「任侠の鏡」と山中を誉めちぎるが広能は
虚しさでいっぱいだった