google.com, pub-1751028613932834, DIRECT, f08c47fec0942fa0 —— 実録映画『仁義なき戦い』名言・名セリフ 「広島極道はイモかもしれんが旅の風下にたったこたぁいっぺんもないんでぇ。」: 仁義なき戦い
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仁義なき戦い『山守義雄の出した保釈金で出所し山守組の組員となる』

 復員兵の広能昌三(ひろのしょうぞう)は流れ者のヤクザを殺害し、後に親分となる土建屋の山守義雄(やまもりよしお)の出した保釈金で出所し山守組の組員となる。さらに服役中には、土居組の若頭である若杉寛(わかすぎひろし)と兄弟分になっていた。

ある日広能は長老大久保憲一(おおくぼけんいち)の遠縁にあたる上田透(うえだとおる)と、博打の席でいさかいを起こしてしまう。山守が謝罪に出向くと大久保は市会議員の中原重人(なかはらしげと)を山守に紹介し選挙の妨害工作を依頼する。そして若頭の坂井鉄也(さかいてつや)は、中原の対立候補の金丸昭一(かなまるしょういち)を拉致し無事作戦は成功するのだった。
だが土居組に拉致された山守組の神原精一(かんばらしょういち)が全て話してしまったため、山守組と土居組の抗争に発展してしまう。そこで広能は土居組の組長である土居清(どいきよし)の殺害を計画し、成功するが隠れ家に現れた神原に騙され再び刑務所に収監される。
その後土居組との抗争に勝利し山守組は発展を遂げるが、覚醒剤の密売を巡って坂井と山守組幹部の新開宇市(しんかいういち)が対立していた。そして坂井を支持していた上田が殺害され抗争となるが、新開が殺害され有田も逮捕された事で坂井の勝利となる。
広能が出所すると坂井と山守が対立しており、幹部である矢野修司(やのしゅうじ)が殺害された事を山守組幹部である槙原政吉(まきはらまさきち)に知らされる。だが広能は2人の争いには関知せず山守に盃を返したが、坂井は山守の子分に殺害されてしまうのだった。そして坂井の葬儀に現れた広能は、拳銃を乱射し坂井に別れを告げる。

【元共政会幹部】広島ヤクザの独特ルールとシノギについて聞いてみた【仁義なき戦いモデル】

 


https://www.youtube.com/watch?v=YhgBZV7brHU&t=1478s

20世紀末くらいまで、『仁義なき戦い』という映画の影響力は、広島の街のイメージを覆いつくすほど大きなものがあったような気がします。

 この街に住み始めた頃、知人に「大丈夫か?」とよく訊かれました。

私もしばらくの間は、生活の中で根拠もない緊張感が抜けませんでした。
また、東京在住の頃、電車の中で広島弁で話をしていると、自然と周りの人たちがスペースを空けるということもありました。
20世紀末くらいまで、『仁義なき戦い』という映画の影響力は、広島の街のイメージを覆いつくすほど大きなものがあったような気がします。
しかし、実際に住んでみると、全然そんなことはなく、とても美しく”深味のある”魅力溢れる街なのですが、それでも魚の小骨のように心の奥にずっと引っかかっていたものがありました。
この本は、それを(完全にではないですが)抜き取ってくれるような本です。


【寝ごと雑談】

①古今東西、暴力を無法に振るう人間は絶えないでしょう。
でも、他人を殺めるというとこまで行くというのは、どういうことなのか。
そして、なぜ広島がその象徴的な”暴力の街”となっていたのか。
”平和の街”であるはずなのに。。。
それが、抜けない小骨でした。

②ドストエフスキーやチャップリンの、「人を一人殺せば犯罪だが、戦場で数千人殺せば英雄になる」旨の有名なセリフ。
著者が(映画の)主人公に聞きたかったのは、”犯罪”の話ではなく”戦争”の話で、”忠君愛国”と教育され、敵と命のやり取りをしてきた世代の人々にとっては、真面目な人ほど戦後もそれは特別ではなくやってしまう可能性がある。
でも、それはある意味、そんな環境に置かれたら、誰しもが犯してしまうことなのかもしれません。

③映画は、広島への原爆投下のシーンで始まります。
今までシリーズを何度か見たのに、そこに、直接 ”戦争”(ある意味、その後遺症)というものを感じ取ることができなかった自分は、一体何を見ていたのだろうと思います。
(戦後世代にとっては、”戦争”は歴史であり、”暴力”は現在進行形なので、直感としてそこを結びつけるのが難しいのかもしれません。)

広島(呉も含めて)は、”軍都”であり、”被爆地・戦災地”であり、”暴力の街”であり、”平和の街”であるというのは、是非ではなくこの街の”流れ”でだった。
でも、それは広島に限らず日本全体がその”流れ”の中にあって、それが際立ったのが広島だった、ということでしょうか。
そして、その先に、”深味を帯びた”今の広島の街がある、のかもしれません。

カッコよさに心が燃える! アクション映画(洋画・邦画)ランキング 3位『仁義なき戦い』(1973年公開/11.4%)

 1位『るろうに剣心』(2012年公開/17.9%)
2位『七人の侍』(1954年公開/11.8%)
3位『仁義なき戦い』(1973年公開/11.4%)
4位『永遠の0』(2013年公開/7.4%)
5位『極道の妻たち』(1986年公開/6.1%)
5位『アウトレイジ』(2010年公開/6.1%)
7位『クローズZERO』(2007年公開/4.8%)
7位『キングダム』(2019年公開/4.8%)
9位『BRAVE HEARTS 海猿』(2012年公開/3.9%)
10位『ザ・ファブル』(2019年公開/3.5%)
11位『図書館戦争』(2013年公開/3.1%)
12位『バトル・ロワイアル』(2000年公開/2.6%)
13位『亜人』(2017年公開/2.2%)
14位『その男、凶暴につき』(1989年公開/1.7%)
14位『GANTZ』(2011年公開/1.7%)
14位『真田十勇士』(2016年公開/1.7%)
17位『十三人の刺客』(2010年公開/1.3%)
17位『リアル鬼ごっこ』(2015年公開/1.3%)
17位『銀魂』(2017年公開/1.3%)
20位『グラスホッパー』(2015年公開/0.9%)


3位『仁義なき戦い』

実在のヤクザ、美能幸三の手記をベースにした飯干晃一原作のノンフィクションを映画化。広島の呉市を舞台に、それまでの任侠映画にはなかったヤクザ同士のリアルな抗争を描く実録物の群衆活劇。菅原文太ほか、勢いのある若手俳優を多数起用していることも特徴となっている。

出演/菅原文太、松方弘樹、渡瀬恒彦、田中邦衛、金子信雄
監督/深作欣二
公開年/1973年

・「俳優陣の豪華さ、脚本の面白さ」(55歳女性/その他/その他・専業主婦等)
・「昔はアクションが大掛かりで面白かった」(47歳女性/建設・土木/事務・企画・経営関連)
・「バリバリのヤクザ映画で、昭和の名俳優が数多く出演しています。偲ばれる人達が増えたのが残念ですが」(53歳男性/物流・倉庫/技能工・運輸・設備関連)
・「かなり古い作品ですが、今の役者では考えられないくらい迫力がある役者ばかり出ていて、やっぱりすごいなと今でも思いますね」(49歳男性/その他/その他・専業主婦等)
・「なんといっても実話であること、そして役者のシブさ、深作監督独特のカメラワーク。この映画を超えることはできないほどの名作」(48歳男性/旅行・観光/営業関連)
・「任侠映画っていいね」(52歳男性/その他/その他・専業主婦等)


シネマーグチャンネル【映画を語る】【作品紹介】仁義なき戦い<前編>

シネマーグチャンネル【映画を語る】

 映画を色んな側面から語られています。 
 

  【作品紹介】仁義なき戦い<前編>




たけし 逮捕された河井夫妻の騒動は“仁義なき戦い”「みんな悪そう。深作さんの映画見ているみたい」

お笑いタレントのビートたけし(73)が20日放送のTBS「新・情報7DAYS ニュースキャスター」(土曜後10・00)で、公選法違反(買収)の疑いで前法相で衆院議員の河井克行容疑者(57)=広島3区=と妻で参院議員の案里容疑者(46)が逮捕された件について、「みんな悪そうだな。すごいな。深作さんの映画見ているみたいだね」と、『仁義なき戦い』シリーズなどの監督として知られる深作欣二さんの作品のようだと苦笑いした。
 番組では、河井克行容疑者と妻の案里容疑者の一連の件を報道。昨年7月の参院選広島選挙区を巡り、地元県議らに票の取りまとめなどを依頼し現金を配ったとされており、参院選の案里容疑者の選挙活動は、克行容疑者が実質的に取り仕切った。擁立は首相官邸の主導だったとされ、党本部は安倍首相と不仲説のあった自民党現職・溝手顕正氏側の10倍にあたる1億5000万円の資金を夫妻側に提供。安倍首相の秘書らも選挙支援に回った。

 たけしは、1億5000万円の資金が、政党交付金から回った可能性もあることについて言及。「だいたい、政党交付金って税金だろ?あれをまた配ったんでしょ?伝統芸でいいんじゃない。伝統的な。いまだに形を崩さない、とか。頑固でいいね、日本は」と、皮肉を込めて語った。

第三次広島抗争 共政会・浅野組VS十一会梶山一派・侠道会





第三次抗争は山村組が中心となって旗揚げした
連合組織である政治結社「共政会」の内紛が発端である。

初代会長・山村辰雄が昭和40年6月に引退
11月に出所して来た理事長・服部武が二代目を襲名する
服部二代目体制に反発したのが幹事長の山口英弘で
彼は引退を表明する。山口(英)組は同会を脱退し
十一会と名称を改めた。

服部は理事長に子飼いの山田久を任命、副会長に旧岡組の原田昭三を加え
「旧岡組・山村組」派閥の発言権を強めた。これに反発したのが
かつて岡組と敵対した同会顧問の村上正明だった

三代目を視野に入れた山田が連合組織から会長を頂点に一本化へと
組織改革を推し進めようとするが、村上は小原組幹部・宮岡輝雄と連携するのである



そして、昭和44年10月 村上組組員が山田との談判中に突如発砲
山田の配下が報復として宮岡輝雄を射殺する
宮岡組は親分が殺されたのは村上のせいであるとして
村上組との共闘を解消、その後村上組幹部が山田を支援したため、村上正明は失墜する

昭和45年9月 美能幸三が出所する。同年6月に樋上組組長・樋上実が
美能組組員に路上で射殺されていたため、彼の出所は新たな火種になると思われたが
兄弟分・波谷守之の懸命な説得により美能は引退を決意した。二代目美能組組長
さらに三代目小原組が共政会入りし、脱退していた十一会会長・竹野博士が山田から
盃をもらう。こうして三代目山田体制は既定路線となって行った

これに反対する十一会副会長・梶山慧は、共政会三代目襲名式6日前の昭和44年11月18日
大阪へ挨拶回り出向いていた山田久一行の乗った乗用車を、梶山派が襲撃した
山田は胸部に重傷を負った、襲名式は無理と思われたが、医師立会いのもとで
式を強行し三代目の座に就いた

山田久襲撃に使われた車が尾道・侠道会のものだった事から侠道会の関与が疑われた
侠道会はこれを否定したが、会長・森田幸吉は梶山の親分の山口英弘と兄弟分であり
その義理から梶山一派を支援した。一方、山田久三代目の後見人を務めていた笠岡の
浅野眞一組長は三代目共政会を支援する

こうして、共政会内紛に端を発した抗争は共政会・浅野組VS十一会梶山一派・侠道会
となって山陽道を揺るがすことになる。泥沼化し、終わりなき抗争とも思われたが
ここでも波谷守之が動き、森田の叔父貴分にあたる清水春日と説得にあたって
昭和45年5月に和解を見た






山口組の本格的な介入





打越会と山村組の広島を巡る地域対立は、山口組と本多会という
大組織の代理戦争の様相を呈するようになった
山口組は以後、打越会を通じて抗争に本格的に介入するようになった

まず、山村辰雄と懇意にしているということで、打越会若頭の山口英弘
(山口(英)組組長)を絶縁とする一方、安原政雄・松本一美が
美能ら暗殺の噂の真相究明に乗り出した
打越側にそんな動きが無かった(岩本は打越から縁を切られていた)事などから
現山村組幹部で元岡組の網野光三郎、服部武、原田昭三らと打越信夫との
兄弟縁を復縁させた(山村組勢力の取崩しを図った)
山村組内では、呉の顔役である海生逸一が画策した小原光男・美能幸三
山本健一の兄弟盃を不服とし、美能幸三を破門とした
美能は以前から何度も煮え湯を飲まされていた山村との対決姿勢を鮮明にした


このように広島の勢力図が打越会・美能組・西友会の山口組派と反山口組の
山村組派とに分かれる中、1963年4月17日に美能組幹部の亀井貢が山村組系組員に
射殺され戦いの火蓋が切られた

広島抗争の中心人物 美能幸三(広能昌三) 菅原文太のセリフ

<美能 幸三は、日本の元ヤクザ、実業家。広島県呉市の美能組初代組長
広島県呉市出身。広島抗争の中心人物の一人であり、後にそのいきさつを描いた
『仁義なき戦い』の原型となる獄中手記を書いた人物である






・なんよう、ワシガやっちゃろうか?あんたら、やってもみんと
 人に頼んだら、アンタらがハジかこうが・・

・馬のションベンいうんなら、ホンマの馬のションベン飲ましちゃろうか

・じゃが、わしゃあ山守のオヤジから、こんなをヤレ~いわれて来とるんじゃ

・盃は返しますけえ、今日以後わしを山守組のもんと思わんでつかいや

・サツにチンコロしたんはオドレらか!

・オドレの胸に聞いてみたらわかろうが・・

・狙われるもんより狙うもんの方が強いんじゃ
 そがあな考えしとるとスキができるど

・タマはまだ残っとるがよう



・知らん仏より、知ってる鬼のほうがましじゃけえのお

・広島の喧嘩いうたらトルかトラれるかの二つしかありゃぁせんので

・わしゃ、呉でおさまっとりゃ、ええんじゃ

・山守にも火傷させたれえや

・今の時代は、相手をとりさえすれば勝てる時代じゃあないんで
 それさえわかってくれりゃ、ええ

・もうわしらの時代は終いで
 口が肥えてきちょって、こう寒さが堪えるようになってはのぅ

・間尺に合わん仕事したのう

・死んだもんにすまんけえのう








映画「仁義なき戦い」の広島弁講座です 昔の広島弁







この映画を見られた方は、何を言ってるのか
わからないセリフもあるのかと思いました

管理人は広島出身ですので少し解説します

シリーズ五作に出てくる台詞で登場頻度が
多いと思われる広島弁です・・






「こんなぁ・・・」

お前・あなた・君

「おどりゃ~・おどれ!」

お前・あなた・君

「わりゃ~・・・」

お前・あなた・君


「~つかあさいや」

何々よろしくお願いいたします
何々してください

「~ど!~どお?」

何々です 何々ですよね?

「~で!~でぇ?」

何々です 何々ですよね?


「なんなら? ~なら?」

なんですか?
どうしたんですか?
どうしますか?

「~じゃけえ ~ですけえ」

なになにです
なになにですから

「~つかいや」

そうだから!
何なにですから・・

まあ、こんなもんじゃろかい?











仁義なき戦い 不朽の名作と称えられる衝撃の第1作【1973年1月13日公開】



終戦直後の呉。復員後遊び人の群れに身を投じていた広能昌三は
その度胸と気っぷの良さが山守組々長・山守義雄の目にとまり
山守組の身内となった当時の呉には土居組、上田組など四つの主要な組があったが
山守組はまだ微々たる勢力にしかすぎなかった。
そこで山守は上田組と手を結ぶことに成功し当面の敵、土居組との抗争に全力を注ぐ
その土居組では組長の土居清と若頭・若杉が仲が悪く事あるごとに対立しとうとう若杉は
破門されてしまった。

そして、若杉は以前からの知り合いである広能を通じて山守組へと接近していった
若杉の山守組加入で、土居殺害の計画は一気に運ばれた
広能は土居殺害を名乗り出た若杉を押し止どめ、自ら土居を襲撃し、暗殺に成功
ところがそれ以来、山守の広能に対する態度が一変し、組の邪魔者扱いにするようになり
広能は結局自主して出るのだった。その態度に怒った若杉が、山守の若い衆を殺害
したことから警察に追われ、激しい銃撃戦の後、殺された。 その間にも、土居組の崩壊と
反比例して、山守組は増々勢力を伸ばしていった




しかし、その組の中でも、主流派の坂井鉄也と、反主流派の有田俊雄という
二つの派閥が生まれ、山守を無視しての内戦が始まっていた



まず、市会議員・金丸と、土居組の残党を味方に引き入れ勢いづいた有田は
坂井の舎弟山方、兄弟分上田を殺害した。激怒した坂井は有田を破門するとともに
報復に出た。次々と射殺される有田一派、ついに血で血を流す凄惨な抗争車件に
発展してしまった。そして、警察の出動により有田は逮捕、兄貴分の新開は殺された
勝ち残った坂井は、広島の海渡組と手を組み、山守に替って呉を支配するかのように
振るまうようになった。


やがて今ままでの内戦を黙視していた山守の巻き返しが始まった
山守は、丁度その時仮釈放で出所した広能に坂井暗殺を捉した。
冷酷な山守の魂胆を見抜いている広能は、微妙な立場に立たされた
山守に従う気はないが、そうかと言って坂井に手を貸す気もなかった
そんな時、矢野組々長・矢野修司が坂井と海渡組の手を切るぺく画策中に殺された
山守の恐るぺき執念がついに実行される。
殺気立っていた矢野組々員をけしかけ坂井を襲撃させたのである。
坂井は血だるまになるまで銃弾を受けた翌日、坂井の葬儀が盛大に行われた。


広能はかつて憧れたやくざ社会に虚しさと怒りを抱きながら
無傷の喪主山守の 前を去っていった